カサネテクと女の子のエンパワメント

数ヶ月前、あるスイーツのCMが日本で大きな反響をよびました。

 

カサネ..カサネカサネテク...という不思議なメロディに乗って、

女の子たちが"無敵"の合コンテクニックを披露するCMです。

 

一緒に参加する友達を牽制しつつ、

「できる女のサシスセソ」を華麗に披露するヒロインたちに、

私たちは目を奪われます。

 

さ「さすが〜!」

し「知らなかった〜!」

す「すご〜い!」

せ「センスいいですね〜!」

そ「そうなんだ〜!」

 

あの手この手...と凄腕テクニックを重ねていく彼女たちは、

いとも簡単に男性陣を手玉にとっていきます。

お財布出してもだ・し・た・だ・け 

彼女たちは、まさに思い通りに男性たちを操ることができるのです。

 

このCMの面白さは、

計算高く男性の気を惹く女の子たちを、あくまでコミカルに描くその手法であり、

いたいけに振舞いつつも、見事に男性たちを手玉にとる女の子たちの技の痛快さです。

 

ところがこのCMには、

ヒロインがふと夜の街で立ち止まり、涙を拭うシーンがあります。

 

強くなきゃ戦えない

技がなきゃ戦えない

泣きたい夜もあるけど、掴みたい幸せがあるから

 

そうして彼女は「技」のブラッシュアップに励むのです。

このシーンを見ていると、不思議とやりきれない、悲しい気持ちになります。

彼女たちの「強さ」「技」そして「掴みたい幸せ」とは一体何でしょうか。

 

日本で、ジェンダーギャップについて話をすると、必ず

「でも、女性は女性だってことで得をしているじゃない」という人がいます。

男性だけではありません。女性にも言われます。

 

女性は自分の可愛らしさやセックスアピールを武器に、

人を思い通りに操って得をすることができる。

 

彼、彼女の脳裏にあるのは、まさにこのCMで行われているような駆け引きでしょう。

 

でも私が不安に思うのは、

このCMの女の子たちは本当に得をしているのか、ということです。

 

「できる女のサシスセソ」を見返してみてください。

これらは全て、自分の無知をアピールし、男性の優位を印象付ける言葉です。

 

後半で登場する「アイウエオ」は一層、女の子の無力さを補強しています。

 

あ「あげな〜い」

い「いらな〜い」

う「うごけな〜い」

え「えらべな〜い」

お「おせな〜い」

 

言葉だけではありません。

胸をさりげなくさらけ出し、素足を男性の足に絡ませ、

女性たちは自らを無防備で性的な存在として売り出しています。

 

幼稚で無知で、無防備で性的であること

そうした価値を積極的に内面化することで、彼女たちはモテ、

「幸せ」を掴む道を切り開くことができるのです。

 

彼女たちが狡猾でたくましいことに依存はありませんが、

女の子たちがこのような仕方で、「幸せ」になることを目指す社会が、

男女平等であるようには、私には思えません。

 

彼女たちが、自らを「可愛がられる存在」として位置付けることで

個人的にうまく立ち回れたからといって、

女性が男性よりも得をしている、ということにはなりません。

 

彼女たちのような女性を「計算高い」「腹黒い」といって批判することでは

解決できない、もっと構造的な問題がその背景に潜んでいるように、私には思えます。

 

成人女性を対等な個人としてではなく、

あくまで「可愛」がろうとする日本社会は、

女性にとってだけでなく、(カサネテクに翻弄される)男性にとっても、

生きづらいのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

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