のぶみ炎上「嫌なら聞かなければいい」で済ませてはいけない理由

最近、絵本作家のぶみさんが作詞した「あたしおかあさんだから」という曲が大きな話題になりました。
 
一人暮らししてたの おかあさんになるまえ
ヒールはいて、ネイルして
立派に働けるって 強がってた
今は爪切るわ 子どもと遊ぶため
走れる服着るの パートいくから
あたし おかあさんだから
 
あたしおかあさんだから
眠いまま朝5時に起きるの
あたし おかあさんだから
大好きなおかずあげるの
あたしおかあさんだから
新幹線の名前覚えるの
あたし おかあさんだから
私よりあなたのことばかり…
 
母親になる前は自分中心の生活を謳歌していた女性が、
いまは自分を犠牲にして、子供のために身を捧げている様子が描かれていきます。
 
幾度も繰り返される「あたし おかあさんだから」というフレーズが
あらゆる疑問を打ち消して、
「母親だからこれでいいの」というぎりぎりの肯定感を、上塗りしていきます。
 
この曲はHuluのオリジナル子供番組で
NHKの「うたのおにいさん」だいすけおにいさんが歌い、
当初は子育て中のおかあさんの間で話題になったようです。
 
「背中を押されている気がした」と肯定的に捉える声もあった一方で、
母親の自己犠牲を称揚する内容であること、
そして子供に聞かせることを意図した曲であることから、
「母親なら自分を犠牲にして当たり前だと言われているようだ」
「子供にこんな母親像を刷り込みたくない」
など、多くの批判の声が寄せられました。
 
twitter上で「#あたしおかあさんだけど」と、
女性たちが自分なりの母親像を拡散するなど、論争がユニークな様相を見せていく中、
「のぶみ炎上」問題は、インターネットなどで大きく取り上げられていきました。
 
 
しかし論争が幅広い人たちを巻き込んでいく中で、
しばしば見聞きするようになったコメントがあります。
「嫌なら、聞かなければいいのに」
 
こうした声は、歌い手である「だいすけお兄さん」が謝罪を表明すると、
ますます大きくなっていきました。
「なんでも謝罪を求める風潮は、いかがなものか」
「嫌なら、聞かなければいいのに」
 
「嫌なら聞かなければいいい」「嫌なら見なければいい」という声が聞かれたのは、
今回が初めてではありません。
ゲイらしきキャラクターを面白おかしく揶揄して見せた、とんねるずの「保毛尾田保毛男」問題、
黒塗りメイクで黒人有名俳優に扮した、ダウンタウンの「ガキ使黒塗り」問題…
「多くの人が楽しめているなら、不愉快だと思う人は見なければいいじゃない」
ネット空間にはそんな声が充満し、
ひいては有名芸能人やコメンテーターが、そうした意見を公に発信していました。
 
でも私は異を唱えたい。
「こんな歌は聞きたくない」「こんなネタは見たくない」という意見は、
問題の渦中にある人物を中傷したり、彼らの足をひっぱるためではなく、
支配的な社会の風潮や、エンターテメントのあり方を前向きに変えていく、
プラスの力を持っているからです。
 
のぶみの歌詞内容に、励まされた人もいるとおもう。
でも、のぶみが子供たちに聞かせようと作ったその歌は、
女性が母親になることで否応なく自己犠牲を強いられてきた歴史や、
今もなおそれを当然のこととして、女性を追い詰めている社会の風潮と、切り離すことはできません。
 
保毛尾田保毛男問題や、ガキ使黒塗り問題も同じです。
ネタを面白く見た人もいるとおもう。
一緒に楽しめるゲイの人も、アフリカ系の人も、いるとおもう。
でもテレビで多くの人の目に触れたそのネタは、
同性愛者が揶揄されてきた歴史や
黒塗りメイクで黒人を差別的に表現してきた歴史*1と、
切り離すことはできないのです。
 
そうした意味で、「あたしおかあさんだから」の炎上、
保毛尾田保毛男」の炎上、「ガキ使黒塗り」の炎上は、
「この芸能人の箸の持ち方がなっていない」
「この女性タレントの自撮りが盛りすぎだ」
などといった「炎上」と、一緒にしてはいけない性格をもっています。
 
こうした作品に対する炎上は、表現者を謝罪させたいから起きるのではありません。
世の中の支配的風潮を、変えていくために起きるのです。
 
今回の件で、謝罪を余儀なくされたのぶみやだいすけおにいさんは、
個人的にも辛いおもいをしたとおもいます。
 
でも今回の問題がきっかけで、暗黙裡に母親の自己犠牲を当然としてきた社会の風潮に光が当てられたことも事実です。
また「#あたしおかあさんだけど」ブームをとおして、
多様な母親像が発信されたことも、注目に値します。
 
作品は、歌でもお笑いでも、作り手から離れたところで、受け手や社会に影響を与えていくものです。
作品に疑問を投げかける声は、作り手への攻撃に終始するのではありません。
論争を通して、世の中のあり方が議論されることに、重要な意味があるのです。
 
だからこそ一連の炎上を「嫌なら聞かなければいい」「嫌なら見なければいい」で片付けてはいけないと、私は強くおもいます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

*1:黒塗りメイクが差別的表現にあたらないとおもうという人は、ミンストレルショーの歴史でも調べてください。