「逃げ恥」ゆりちゃんの新しさとは何だったか

ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』が大ブームを引き起こしてから早、約1年。

 

新垣結衣ちゃん演じるみくりちゃん、

星野源くん演じる平匡さん、

そして、2人を囲む様々な登場人物が繰り広げる細やかな人間模様に、

私を含めたくさんの人が魅了されました。

 

なかでも、石田ゆり子さん演じる、"アラフィフ"シングル、ゆりちゃんの可愛さと切なさは、多くの人の心を揺さぶりました。

 

ゆりちゃんは大手化粧品会社で「部長代理」として活躍するキャリアウーマン。

明るく、有能で部下にも頼られているゆりちゃんですが、

女性(なかでも未婚女性)に向けられる様々な偏見やプレッシャーと、

日常的に闘いながら生きています。

 

女性が7割の会社で管理職はたったの1割、

ポストはあいているのに部長にはなれない部長代理。

 

美人なのにシングルの部長代理ゆりちゃんは、周囲にとって常に好奇の対象で

部下を厳しく指導すればパワハラ

男性部下と交わしたちょっとした一言がきっかけでセクハラ、

さまざまな噂や誤解が生まれてしまいます。

 

それでもいつもはサバサバしているゆりちゃんが、たった一度涙を見せて

次のように語るシーンに、心打たれた方はたくさんいるとおもいます。

 

...あの人が頑張ってるなら、自分ももう少しやれるって。

今ひとりでいる子や、ひとりで生きるのが怖いっていう若い女の子達が、

ほらあの人がいるじゃない。結構楽しそうよ。って思えたら少しは安心できるでしょ。

だからわたしはかっこよく生きなきゃって思うのよ。

 

 

男女雇用機会均等法の施行から約30年。

男性優位の社会で戦う日本のキャリアウーマンの姿は

数々のドラマや映画で描かれてきました。

 

それでもゆりちゃんというキャラクターが、

これほど強烈に私たちの心を揺さぶったのはなぜでしょうか。

 

私は、「独身キャリアウーマン」という役を、

可憐なイメージの強い、石田ゆり子さんが演じていることに、

その秘密があるのではないかとおもいます。

 

「社会の荒波と闘い、強く生きるキャリアウーマン」というキャラクターは、

すでに、どこか定型化していて、

例えていうなら、女性差別やセクハラが露骨に横行するろくでもない会社で、

マニッシュでハンサムな米倉涼子さん、

凛としてカッコイイ篠原涼子さんなどが演じる女性が

孤軍奮闘するという、ストーリーがテンプレートではなかったでしょうか。

 

男なんてダメ。

男なんていなくても大丈夫。

私は有能で、強いの。

 

「キャリアウーマン」というキャラクターが体現するのは、そんなメッセージでした。

そしてそこで描かれる男性や会社は、本当に「ダメ」でどうしようもないのです。

 

でも多くの女性にとって、そんな設定は、一体どこまでリアリティがあるでしょうか。

 

ゆりちゃんというキャラクターの切なさは、

彼女は別に、縁があったら結婚してもよかった、

シングルでいるつもりなんてなかった、というところ。

 

そして、彼女を取り巻く偏見や差別が、とても微妙で、構造的で、

名指しできる「悪者」がいない(でも確かに存在する)というところ。

 

それは目に見えない「呪い」となり、

お金もキャリア(部長"代理"だけど)も手に入れて、何不自由ないはずの彼女の人生に、

濃い影を落としているのです。

 

私は、いまの日本のキャリアウーマンが抱えている苦悩は、

多くの場合、こういう形のものだとおもう。

 

面と向かって、差別的な発言をされたり、露骨なセクハラが横行していたり、

明示的に「女だから」という理由で、拒絶されることもない。

 

でも、ついつい私たち自身が内面化してしまう「結婚」や「家庭」への憧れ、

女性の私生活や男性関係に関する"悪気のない"噂話やジョーク、

そして誰も「あなたが女性だから」とは言わない、様々な障壁...

 

そんな「見えない」形をとって根強い差別や偏見が、いまも女性を束縛しています。

 

制度的には平等だから、明示的な差別はもう無いから、

日本は平等、この会社は平等。

それでも辛い、苦しいって思ってしまうのは、私が弱いんだと、

多くの女性が思わされてしまう現実があります。

 

「差別だ!」と声高に叫ぶわけでもない、

でも苦しい、悔しい、

そっと涙するゆりちゃんの苦悩に、多くの人が共感したのは、

そんな背景があるからだとおもいます。

 

「見えない」形をとった差別や偏見に苦しむひとりひとりの女性が、

自分を責めることなく、声をあげることができるように、

理解が進むことを願っています。